その歴史とその背景について

国家公務員と地方公務員の違い

公務員は、私人のためだけでなく国家のための仕事をすることと
捉えられておりますが、日本には二つの公務員があります。

それは、国家公務員と地方公務員の二つの公務員があるのです。
職務の範囲については、国家公務員の方が国家全体を職務範囲に該当するので
広く、地方公務員は地方といった限定された地域のみの職務を全うすれば良いと
いうことになっています。実際は国家試験を受けるか、地方の自治体の試験を
受けるかによって違いが見られるのです。

公務員の歴史

国の体制には、国家、県、市区町村というように縦割り的に組織が
構造的に分かれています。従って、国家機関に所属する公務員を国家公務員、
県や市区町村を地方公務員と定義される場合もあります。

そういったピラミッド構造にはなっているようですが、この歴史については
比較的に浅く、今のような体制になったのは、明治時代です。よく学校の教科書でも
近代国家の仲間入りになったのは明治時代であると記載されています。

それ以前は、関が原の戦いで勝利した徳川家康が江戸幕府を開いたことによる
徳川政権の幕藩体制でありましたが、それを戊辰戦争により江戸幕府を滅亡させ、
新しい議会を中心とした国家という体制を整備したのです。そういったことから、
国家という概念が生まれたのは、明治時代以降であるのです。

公務員については、元々、江戸幕府を設立した段階で旗本を事務方のトップに
すえたりしたこともあったので、公務的な色彩の強い職権自体は、江戸幕府でも
あったのは事実です。

従って、公務員の歴史といえば、現在のような職業的な色彩が強くなったのは
明治期以降ですが、それ以前にも公務に携わって調整する役目を果たす人は居たのは
事実なのです。確かにそういった役目の人が居ないと政権が維持できなかったのは
事実であるからです。

古代中国の影響

もっとも、公務員の歴史を紐解く上では、古代中国の科挙という制度が
わが国の公務員制度に寄与していると見られます。

古代中国における科挙というのは、試験科目による選挙ということで、
官吏の登用試験を行って選抜するといった制度なのです。それに地方出身者でも
ある者でも優秀な人は官吏になることが出来た制度なのです。

その始まりは古く中国が隋という国であったときから広く行われており、
以後1400年間そういった制度を採用してきた歴史があるのです。

勿論、日本も時の政権が幅広く中国との交流を行ってきた歴史があるので、
科挙の制度自体を見聞することはあったに違いがありませんし、
平安時代では遣隋使、遣唐使がそういった制度を日本に持ち帰り、
日本においても採用して人材発掘の足がかりになったのも事実であるのです。

現在の公務員制度の原型が、その古代中国の科挙に見ることが出来るので
いつの時代でも、優秀な人材は国家の資源であり、そういった人材を集めるために
人材登用採用試験を実施して、国家の発展を帰したいといった思想が見て取れるものです。

その点から、公務員制度の誕生自体は国家の誕生とともにあった古い制度であり、
現在でも残っているものなのかもしれません。

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